みぞれなべ

2019/07/28聖杯

泥抜きです

いつからか、ぼんやりと外を知覚していた。いろいろなものが感じられた。
うごくものも、うごかないものもあった。

自分の周囲は、それらとは隔絶された場所なのだと理解できた。
けれど僅かながら、なにかを通じて外のものが流れ込んできていた。
それは普段はとても好ましく、けれど時折果てしなく嫌なものになった。

嫌なものになったあとには、常に同じような揺らぎを感じた。
何度も何度も同じ揺らぎを感じるうち、揺らぎは言葉というものだと学習した。
最初に知った言葉は「ごめんね」だった。

自分へと謝っている存在がいることを知った。
語りかけてくる存在がいることを知った。
自分と外をつなぐものは、どうやら自分に謝罪というものをしているようだった。

彼女がどうして謝罪というものを繰り返すのか知りたかった。
その頃には、語りかけてくるものが女、あるいは母という存在であることを知っていた。
感じられる外の情報は増えていたけれど、母が謝る意味はわからなかった。

もう何度目かわからない謝罪の時、「どうして?」と尋ねてみた。
どうやって尋ねたのか自分でもわからなかったけれど、それは確かに母に通じたようだった。
そうして、語りかけられることを知った。
母の謝罪の理由を知った。自分という存在の意味を知った。たくさんのことを、母は教えてくれた。そして、姉という存在を知った。

姉はつねに母の側にあるわけではなかったが、何度も見る機会を得た。
姉は自分とは違い、人として成長というものをしていた。
見るたびに姿がかわっていくさまは興味深かった。
母は、自分が姉について興味を示す事を喜んでいるようだった。

ある日、父という存在を知った。
知ったそのときに、母からも自分からも、たくさんのものが奪われた。
奪われたせいで、母に語りかけられないことが多くなった。

その後も奪われるたび、母が少しずつ変わっていくのを見ていた。
いつかのように謝り続けながら、母が壊れていくのを見ていた。見ていることしかできなかった。

姉が母の前で泣くのを見ていた。姉が母になることを知った。姉の絶望を知った。
知って、見ていることしかできなかった。

消えてしまいたいと願った。
皆死んでしまえばいいのにと願った。
願うことしかできなかった。そうだと思っていたけれど、ある日、そうではなかったことを知った。

母を使えば外に干渉できることを知った。母が捨てられることを知った。願望機の存在を知った。母の母のこと、母の母の母のこと、続く血のことを知った。
知りたくないことをたくさんたくさん知って、そのかわりに、どうしたらいいのかを知った。

骨を並べ、血溜まりで流れを描き、最後に臓腑を配置して。母の目を借りて最後に確認したあと、母に謝罪する。とても痛いはずだから。
言葉を紡ぎながら、流すのは自分の血の一筋。隔絶されたここから、外へと送り出す最後の希望。

「ぼくらをたすけて」


どうしてにげなかったのかって。だって、ぼくはじさつすることもできないそんざいなんですよ。