みぞれなべ

CoC:VOID 泥抜き

VOIDの泥抜き。違う世界線で希死念慮に負けて死んだモユルかもしれないし実際のモユルかもしれない、フワフワ時空のモユルです。シナリオのネタバレがあります。


移動中の時間がすき。やることが少ないから。バイクで移動することになった初めてのときに、僕よりあさひなのほうが運転がうまかったから運転はあさひなの仕事になって、僕は後ろに座ってるだけが「いつも」になった。僕が運転したほうがいいんじゃないの、必要ならそういうのインストールしておくけど。って、何度か言おうとして言えていない。仕事の前に運転で疲れちゃうのはよくないから、本当はいっかい言ったほうがいい。わかっていて言わずにいる。これは矛盾ってやつだ。
だって後ろに乗ってるの、好きだし。それに実のところ、頑丈なだけが取り柄の僕よりあさひなのほうが運動能力の数値は上だったりする。もうちょっと盛ってくれてもよくない?そのほうが役に立つよって製造元に言いたい。製造元がどこなのかはあんまり考えないことにする。れーくんがメンテしてくれるとき何も言わなかったから、正規品とだいたいは同じはずだ。

僕らにあんまり自由な時間はない。ほんとうは仕事中かメンテナンスかスリープしているか、そのみっつ。燃料だってタダじゃない、仕事のないVOIDを稼働させておく必要はない。
あさひなは僕がこっそり四ツ葉と会ってるのを知ってて手引してくれてるし、あさひな本人も僕を私用で持ち出すことがあるから、他の同僚よりはずいぶん時間がある部類だけど。でも後ろに乗っかっているだけで周囲の観察や会話が最低限で済む移動の時間は考えるのに一番都合がいい。
だからその日もあさひなの後ろで考えていた。

叶恵。僕の母さん、とは言いたくない。モユルのお母さんだった人。そして同じ名前の疑似人格について。
無理矢理コンパイルして普段使っている形式にした記録ファイルを高速再生する。

モユルの帰宅を告げる声。学校には行くことを勧められて嫌だと我儘を言う記憶。モユルは生きていたときの叶恵もただの疑似人格になった叶恵も同じように愛している。叶恵もそれを受け入れていて、疑似人格の叶恵もモユルを心配してるみたいに振る舞う。有馬が叶恵に愛を告げることもある。和やかな家族の風景。そんなの今の僕は創作物でしか知らないけど。ただひとり、いつも画面の中にいる叶恵だけが異様。今の僕にはそう見えても当時のモユルはそれを疑問にも思っていない。画面の中の叶恵にモユルはたくさんたくさん話しかける。お父さんのこと、お姉ちゃんのこと、あとたまに、あさひなのこと。

モユルのなかで画面の中の叶恵と死んでしまった叶恵は矛盾なく同じ存在だった。叶恵は自己の同一性をどう考えていたんだろう。わからない。これはモユルの記憶だから、叶恵の感情は記録されていない。
生きていたときの叶恵は機械になるよりも死ぬことを望んだ。それでも疑似人格の自分が本当に生きていた叶恵と同一だと思っていたのか。違うことを理解した上でインプットされた情報から叶恵を演じていたのか。もしくは、感情なんてなくてただ計算の結果が「叶恵」に似ていただけなのか。

叶恵は消去された。本人に訊く方法はもうない。モユルの記憶に由来する叶恵は表情も声も不鮮明すぎて、何度これを再生しても正確に読み解くことはできない。叶恵が死んだとき、モユルがどれだけ苦しかったか。帰ってきたときどれだけ嬉しかったか。見返すたびに人間の感情の大きさを叩きつけられるだけ。

人間は親しい人間が喪われると悲しむ。知っている。一般論としても、創作物としても、モユルの記憶としても、……ほんの僅かしかない、僕の経験としても。
あさひなもチヨちゃんも、大切な人間が(僕は赤星を人間に数えないけど、あさひなの主観では人間だったんだからそこに文句を言ってもしょうがないのはわかる)喪われて悲しんだ。有馬は悲しみすぎて壊れてしまったくらいだ。

あさひなもモユルが喪われたとき悲しかったはずだ。モユルが死んでしまったからそのあとのことは僕にはわからない。少なくとも深いトラウマになるくらいには精神に負荷がかかったと推測できるだけ。
そして喪われたはずの人間が帰ってきたら嬉しい。それを僕はモユルの実感として知っている。だからあさひなも、モユルが戻ってきたほうが嬉しいはずだ。親しくて自分をかばってくれた心優しい幼馴染。もう戻ってこないはずだった人。
たまたま。主観的に見れば本当にたまたま、僕はその記憶を持たされて作られた。それは死んだモユル本人であるのと、どう違うんだろう。
本当にあさひなのためを考えるなら、モユルの真似をすればいい。わかる。叶恵が戻ってきたとき、モユルがどれだけ嬉しかったか僕は知ってる。あさひなに、同じ喜びを渡せるだけの手札がある。でも。そこに僕としての人格……人格ですらない、乱数でいくらか個性のようなものを与えられた演算装置が入り込む余地はない。でも。でも。
何度計算しても途中でループする。でも、の先の答えが出てこない。無限ループに入っているプロセスを強制終了すると、聴覚センサーが聞き慣れた声を拾っていた。

「……ル、モユル。おい、ついたぞ」

スイッチが切り替わる。いつのまにか演算リソースを内部の思考に割きすぎていたらしい。外部刺激に対する反応が最低限になっていた。周囲の風景は目的地のもので、聞こえるあさひなの声はいつもよりすこし低くて早口。ちょっといらいらしてる、と内部思考を一括強制終了して会話と外部刺激への対応に振り分け直したリソースは計算する。
「ごめん、んー……“ぼーっとしてた”?」
リソースの配分ミスを人間的に言い換えるとこんなかんじだろう。あ、でも本来僕がぼんやりするなんてことはないのをあさひなは知っている。いらいらが心配に書き換わる前に「優先順位の設定ミスだからもう平気ー、きにしないで」と追加して、今日の調査についての話題に移る。

会話の裏側で、僕は一括で殺しきれなかったプロセスを一つ一つ殺していく。途中で強制終了したから妙なゾンビが残っていないかも一応確認しないといけない。

命令に背いてあさひなを助けた赤星にほんのちょっとだけ共感している。持ち主のためにならないものなんて必要ないはずなのに、僕らはそれを消去できない。そのプロセスの内容を記録しないで殺す。

“僕"より"モユル"がいたほうがあさひなが喜ぶなら、“モユル"のふりをしたほうがいいはずでしょ。叶恵に同じことさせておいて、救われておいて、逆の立場になったら自分は代わりにはなりたくないなんて虫が良すぎじゃないの。
そう演算の結果を出していたプロセスも、インプットに誤りがあったことにして記録せず殺した。それを記録してしまったら、僕はそれを無視できない。

エミュレートした笑顔のモユル。モユルの主観記憶からモユルの表情は取得できないせいで精度がいまいち。今の僕の影響が抜けきってないんだよなあ。どことなく白けた笑顔で「都合いいやつ」と呟かれた。僕の演算結果をその口から言われるのやだなあ。あと多分、あさひなの望むモユルはそういうんじゃない。修正のために記録してから殺した。

一通りの精査を終えればもう余計なタスクは無い。おーるぐりーん。ちゃんとあさひなの役に立てる僕だ。
いつも先に行っちゃうあさひなを、小走りで追いかける。移動中に何を考えていたのかは、もう思い出さない。